誰にも言えない そのに
「乗っていくか」
本多に向けられた御堂の言葉に、克哉は耳を疑った。
本多はつい今まで克哉たちと一緒にMGNの関連会社で、一室の新商品に関わる打ち合わせに出席していた。
次の商談の時間が迫り本多が急いでいる理由が、関連会社の担当者が大幅に遅刻したことなのだから、
車で来ている御堂がちょうど帰り道の取引先で本多を落としてやる、というのは一見自然な話のようだが、
克哉の記憶にある限り、御堂が本多に親切にしているところなど見たことがない。
いや、このあいだ雨の日、傘のない本多をうちにつれてきたよな…
もしかしてオレの知らないところで、御堂さんと本多は打ち解けてきてるのかな…?
などと考えつつ、克哉は駐車場で御堂の車の助手席に乗り込み、本当に急いでいる本多も後部席のドアを開けた。
エンジンをかけるや否や、御堂はラジオのスイッチを入れた。
ちょうどサビの部分だった。
「お、プロトファイバーのCMソングか。この歌、最近よく聞くなあ」
「そ、そうだね」
本多の暢気な声に、背中に汗をかきつつ、克哉は上擦った声で答えた。
み、御堂さん…っ!
確かにContrastはヒットチャート躍進中で、テレビでもラジオでもよく聞く、それはいい。
問題はこのあとだ。
曲が終わると同時に、CMが入った。
からだの中からキレイに変われ
しなやかに美しく
思わずスイッチに伸びかけた克哉の手首を、御堂ががしっと掴んだ。
御堂は運転中のため、危なくてその手を振り払えない。
「そういや、このラジオ用のCMも好感度高いんだよな。
双子がMGNの社員に助けてもらったってエピソードを音楽番組で告白して、ファンじゃない人までチェックするようになったとかで」
そうなのだ。あろうことか双子は全国区のテレビ放送で「MGNの親切な社員さんのとっても素敵な声を聞いてください!」とやらかしたので、
普通テレビに比べて存在感の薄いラジオCMが一躍脚光を浴びた。
せめてもの救いは名前が出なかっただけだが、MGN社内ではこの件について社内報からインタビューが来たり、
写真付でそのインタビュー記事が載ったり、目立つことに慣れていない克哉にとってじたばた転げまわりたい事態となっていた。
さらにそれだけならまだ仕事のうち、と割り切ることもできるが、御堂がスポンサーとしてラジオCMの流れる時間帯を把握しているのをいいことに、
一緒に車に乗り込むたびにその時間だけラジオをつけて、わざわざCMを聞かせてくれる。
いちいち真っ赤になる克哉の反応を楽しんでいるようなので、これは一種のセクハラでは、と疑っているが、論破されるのが目に見えているので我慢していた。
「確かになんかいい感じの声だよな。もうひとつのバージョンのほうも、男だけど色気があるっつーか」
ひええっ! 本多! そんなこと言うな!
克哉が飛び上がりかけたとき、御堂は口の端を挙げた。
「そうだろう。さすが佐伯君だ」
「へ?」
「御堂さんっ!」
「ええっ! これ、おまえ、克哉、おまえなのかよっ!」
「本多、危ない!」
本多は運転席と助手席のあいだに割って入ろうとした。
「なんだよ、聞いてないぞ、俺はっ!」
「恥ずかしくって言えないよっ! 知らないでよかったのにっ!」
「おまっ、ひどっ! それが親友に対する態度かよっ!」
「友達だから余計恥ずかしいんだよ!」
「ああ、本多君は知らなかったのか。それは余計なことを言ったな」
嘘つきっ! 本多が知らないって知ってたくせに!
勢いあまった涙目で克哉は御堂を睨むが、本多に言うようにぽんぽん言葉を投げつけるわけにいかない。
このために本多を車に乗せたのかと思っても、最早たただた恥ずかしいだけだった。
キクチに戻って本多が憤りを片桐にぶつけたところ。
「あれ、本多君、知らなかったんですか?」
「課長は知ってたんですか!」
「ええ。最初にCMを聞いたとき似ているなあと思って佐伯君に訊ねたんですよ。本多君、聞いてわからなかったですか?」
「……」
わからなかったが、ふたつのバージョンどちらの声も、男にしては色っぽい、と思っていたことは、本人を前にしてさっきうっかり言ってしまったが、もう二度と誰にも言えない。
一方、喫茶店ロイド。
「太一、そのラジオ消せ。うちの店のイメージと違うだろ」
「だってオヤジ。克哉さんの声が公共の電波で聞けるんだよ?
CM流れてるうちに堪能しなくちゃバチが当たると思わない?」
今現在のロイドにラジオがつけっぱなしになっていて、プロトファイバーのラジオCMを追って次々とチャンネルが替えられていると知れば、
引っ越してからも時々コーヒーを飲みに来てくれる常連客のひとりを失ってしまうかもしれないな、と父親兼マスターは思った。
思ったものの、育て方が悪かったのか常識を持ち合わせない息子に言っても無駄だろうと、その息子の前で深いため息をつくに留めた。
「かっつやさん、早く来ないかなー」
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