幸運な男  

「誕生日プレゼントにしたいんです。気持ちが伝わるものを贈りたいんです」
青年がそのとき着ていたのは、この店が売ったものだった。
スーツとシャツは六月に彼のサイズに合わせて職人が作り、ネクタイは彼をこの店に連れてきた客が、彼くらいの年齢のときに購入した。
「どのようなものをお考えですか?」
表通りから外れたところにひっそりと看板をあげているこの店は、知る人ぞ知る紳士用品の名店だ。
「…えと、カフスボタンを見立てていただきたいです」
予算として、青年の年齢では意外に大きい金額を口にする。
この店の客の多くは値札を見ずに買い物するが、彼はごく普通の青年だ。
青年は察しよく付け加えた。
「最近引っ越したんですけど費用が一切かからなかったので、その分このプレゼントに使いたいんです」
店員が抽斗を開けカフスボタンを見せると、しばらく迷ったあと、青年は上品な光沢の白蝶貝が細工されたものを示した。
「これは…とてもきれいです」
店員は微笑んだ。
「お客様のイメージですね」
「…そうですか? あ、でもそれならやめたほうがいいですね。つける人に似合うのじゃないと」
「お似合いになると思いますよ。それにプレゼントですから。身に着けていると、お客様の顔を思い浮かべられるかもしれません」
青年は赤くなり、困ったような笑みを浮かべた。
「でも確かに、ちょっと軽いというか、カジュアルな印象ですね」
「ではこちらはいかがでしょう」
同じデザインですが、こちらはシルバーではなくプラチナになります。
店員はファイルを取り出して写真を見せた。
実物ではないので、質感を確かめるために青年はじっと写真を見つめる。
「ああ…うん、こっちがいいです。これがいいです」
とても重大なことを決意するときの表情で、青年は顔を上げた。
「こちらは只今パリ本店にございます。取り寄せいたしますが、お待ちいただけますか?」
青年の色の薄い瞳が、不安げに揺れる。
「今月末に間に合わないと駄目なんですけど」
「お任せください」
店員は答えた。


十月に入ったある日、その客は袖口に白蝶貝のカフスボタンをつけて店にやってきた。
「彼が世話になったようだな」
「お気に召していただけたなら、お手伝いの甲斐がありました」
商品が届いたことを知らせるメールを送ったその日のうちに青年は店に来て、小さな紙袋を抱えて本当に嬉しそうに帰っていった。
「それで今日は、彼にもなにか、と思うのだが」
心得ていた店員は、奥から小箱を持ってきた。
なかには同じデザインの黒蝶貝のカフスボタンが入っている。
「手際がいいな」
引越しの費用さえ出させない年下の恋人からのプレゼントに、なにも返さないはずがなかろうと、本店から一緒に取り寄せておいた品だ。
シルバーとプラチナでは同じデザインでも価格がまったく違う。
ふたつをセットとみなすことで白蝶貝のほうの価格を少し落としたが、それは店員だけが知っていることだ。
軽く目を伏せ受け流すと、店員は客の顔を見た。
「これを贈られるのはもう少しあとになさったほうがよろしいかと」
余計なお世話だ、と言わんばかりの客に、ゆっくりと微笑みかける。
「心のこもった贈り物のお返しをすぐになさると、相手は自分の心を返されたと感じるものです」
思い当たるふしでもあるのか、客は形のいい眉をひそめた。
「…そういうものか?」
「さて。その方にもよるでしょうが」
しばしカフスボタンを睨んだあと、客は内ポケットからカードを取り出した。
「支払いはすませておく。しかるべき時期に取りに来るから、預かっておいてくれ」
「承知いたしました」
黒蝶貝のカフスボタンは、それから年末までその店の戸棚の奥に置かれた。

母方の祖父がこの店の顧客で、店員は御堂を高校生のときから見ていた。
天は二物どころかほとんどすべてを彼に与えたが、だからこそ欠けているものには気づかないのだと思っていた。
どうやらそれすら手に入れたらしい。
幸運なことだ。と店員は思った。



戻ル