禁断の一週間(前半)



今何曜日の何時ですか、と問われたので、日曜の夜8時だと答えた。
「じゃあオレ、帰らないと」
シーツを握り締めて、のろのろと起き上がる克哉の肩を、御堂は軽く突き飛ばした。
元々力の入っていなかったからだは、呆気なくベッドに戻る。
「泊まっていけばいい。明日の朝なら送ってやる」
「でも、服…」
「スーツもワイシャツも、クリーニングから戻ってきているから心配ない」
「でも」
金曜の夜から、克哉はほとんど衣服を身に着けず、ベッドから出ていない。
明日の朝までそんなでいて、普通に仕事に行けるのか。
御堂ですら時間の感覚をなくした三日間のあと、日常に切り替えが出来るか今ひとつ確証がない。
だが。
「君は、帰りたいのか?」
上に乗るようにして、耳元で囁きかけると、克哉が身を竦めて首を横に振った。
「でも」
「明日の朝は早目に起こしてやる。シャワーを浴びて、朝食を取って、落ち着いてから出社すればいい」
克哉は泣きそうな顔になっている。
「これから私と付き合うんだろ? そんなことでどうする」
「う…」
甘い声で囁かれたからか、先行きに不安を感じたからか、克哉が枕に顔を埋めたので、 露わになった首筋に、御堂は唇を這わせた。
「あ…」
「このままここに一生いるか?
そうしたら明日の出勤のことなど、考えなくてもすむぞ」
「それでもいいです」
克哉が即答する。
「嘘だな」
冷たく言い放つと、克哉は顔を御堂に向けた。
「君はもっと野心家だろう」
戸惑う唇にキスを落とす。
「なにも欲しがっていないような顔をして」
すべてを奪いつくそうとする。
顔中にキスされて、克哉の頬は紅潮し、もっととねだるように足を絡めてくる。
「オレは…御堂さんがいてくれたらそれでいいです」
ほんとです、と克哉はキスを返してきた。

月曜の夜は、特に約束をしなかった。
午前中は打ち合わせで会ったし、 少しくらい離れていないと息が詰まる。そう思った。
八時過ぎまで仕事をして、食事をして九時過ぎにマンションに戻った。
十時くらいまでは普通でいられた、つもりだ。
シャワーを浴びて十一時になったあたりから、落ち着かなくなった。
これでは眠ることも出来ない、と観念して、着替えて車のキーを手に取ったのが零時前。
「私はなにをやっているんだ!」
苛立ちを抑えられず、言ってみてもどうにもならない。
克哉に自宅の場所を聞こうと、エレベーターのなかで携帯を取り出し、アドレスから番号を呼び出した。
ドアが開くと同時に発信ボタンを押そうとした。まさにそのとき、着信音が鳴った。
「御堂さん、すみません、会いたいです…!」
切羽詰った情けない声で、克哉はいきなりそう言った。
あまりのタイミングの良さに、御堂の鼓動が早くなる。
「…今どこにいるんだ」
「御堂さんの、マンションの前…」
地下駐車場から急いで上に出ると、金曜日にいたのと同じ場所に私服の克哉が立っていた。
「御堂さん…」
御堂に気づくなり、駆け寄ってきた克哉と抱き合う。
雨こそ降っていないが、今日も寒い。
薄着の克哉のからだは冷たかった。
「どうしてなかに入ってこないんだ! なんのための鍵だ!」
顔を見たことで気が緩み、咎める口調になる。
「え、えと。鬱陶しいって思われるかなって…」
少しだけ身を竦めるようにした克哉に、御堂はすぐに言葉を返せなかった。
確かにそうだ。
少し距離を取ったほうが気持ちが楽だ、と思っていた。数時間前までは。
「来い」
金曜日と同じように、克哉の腕を引いて部屋まで上がる。
「鬱陶しいなどと思わないから、私に会いたくなったら部屋で待っていろ。
風邪でも引かれたら寝覚めが悪い」
「はい…」
うなだれる克哉の顎を持ち上げると、なにかを期待するようにその瞳が揺れる。
「オレ、今日は普通に過ごそうと思って、仕事が終わってアパートに帰って食事して、それでシャワー浴びて寝ようと思ったんです。
でも、段々落ち着かなくなってきて…気がついたらここに来てました」
震えるように言葉を紡ぐ唇は、キスを待っているようにしか見えない。
「あの、すみません、オレ。…会えたので、帰ります」
「会うだけでいいのか?」
言うなり、抱きしめて口づける。
克哉は腕のなかで身を捩った。
「御堂さん、今日、まだ月曜…」
「だが君は、会いに来たんだろう?」
「そうですけど…」
会いたかったんです、と克哉は御堂の目をまっすぐ見た。
「あなたに、会いたくてたまらなくて。それしか考えられなくて」
こんなふうに、胸を揺さぶられる言葉を御堂は知らない。
「…泊まっていけ。明日の朝も送ってやるから」
克哉はなにか言いかけたが、その口を御堂は唇で封じた。

火曜の朝、今度こそ、スーツも靴も鞄もない克哉を、御堂はかなり早くにアパートまで車で送り、 さらに着替えた克哉を、キクチまで送った。
走る車のなかで「金曜の夜まで会えないんですね」と顔を伏せた克哉に、御堂は考えた。
 いっそ私の部屋に住まわせるか。
 いや、いくらなんでもそれはまだ早い。
最早これまでの自分の生活ペースを乱されたくない、などとは思わない。
だが克哉を常時自分の生活圏においておく前に、整理しなくてはならない関係が、御堂にはいくつかあった。
プロトファイバーの開発に関わるようになってから、多忙が理由でほとんど切れているも同然のそれらだが、 克哉に知られたいとは思わないし、何某かのとばっちりが彼に向かうのも論外だ。
鍵を渡したのは克哉が始めてだから、御堂のいないときに誰かが部屋に入ってくるということはありえないが、 克哉しかいないときに訪ねてくる、という状況は避けたい。
御堂はこれまで、結婚を前に、身辺整理する友人を馬鹿にしていた。
いずれかの時点で結婚することがあっても、自由と引き換えにする気はなかったから、 相手の家や社会に対する体裁を整える姿に、ああはなりたくないと思っていた。
その自分が、克哉への義理立てだけを目的に身辺整理とは。
「電話してやる」
「え」
「毎晩、電話してやる。君はいつも、何時に帰宅してるんだ」
克哉は御堂が思っていたより、ずっと遅い時間を口にした。
そういえば、昨日もそのくらいに戻ったと言っていた。
「どこかに寄っているのか」
「いえ、会社からそのまま帰ってますけど」
キクチの少し手前で車を止め、克哉のスケジュール帳を見た御堂は驚いた。
「君は…働きすぎだろう」
「…御堂さんほどじゃないと思いますよ?」
どっこどっこいではないか、と思ったが、そもそも自分と同じくらい働く人間を、御堂はあまり知らない。
遡ってプロトファイバーの営業が始まってからのスケジュールを確認して、 わずかな時間も無駄にしない調整と、一度訪問した得意先への念入りなフォローと、 たとえ時間外であっても相手の要請に応じている丁寧さに、抜群の営業成績がどのように上げられているかを知った。
さらに別のことにも気づく。
月曜から金曜まで、深夜に及ぶまで予定が書き込まれ、休日のはずの土曜日さえも埋まっているが、毎週ある時間決まった時間で書き込みがなくなっている。
その理由を御堂は知っていた。
御堂のスケジュール帳も、ここ一ヶ月、同じように同じ時間帯が空白になっている。
互いにいかに無理をして、週末に会っていたのか目の当たりにして、御堂は小さく息を呑む。
押し付けられるようにしてスケジュール帳を返された克哉は、そんな御堂の顔を覗き込んだ。
「あの、御堂さん、電話って」
「なんだ、迷惑か」
克哉は慌てて首を横に振った。
「嬉しい、です」
俯きかけて、思い直したのか視線だけ上にする。
そういう顔が可愛いのだと、わかってやっていないところに腹さえ立った。



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