全世界が嫉妬する  

「アジアンビューティー」
克哉が呟いたのを、太一は聞き逃さなかった。
「なんか言った? 克哉さん」
「あ、ううん。なんでもない」
「うっそ。なんか言った。間違いなく言った。克哉さん、俺に隠し事はなーし」
立ち上がった太一は、克哉のうしろから両肩に手を置いた。
「ちょっ、太一」
「いいから、太一君に言ってごらん?」
克哉がふいに顔から笑みを消した。
話すかどうか思案する少しのあいだ、太一は微妙に距離を測りながら克哉に抱きついた。
ここは克哉の住まいだ。
正確には克哉の同居人の住まいで、広いダイニングを事務所として使いだしたのはごく最近。
「…今週末も御堂さん、仕事が入ってさ」
ようやく打ち明けた克哉に、やはりその方面の話か、と太一は思う。
離れようとすると、顔を見て話すのが嫌なのか、克哉に腕を掴まれた。
「それも泊まりなんだ。金曜の夜から日曜の夕方まで」
「克哉さんもついてったらいいじゃん」
「駄目なんだ。会社の人が一緒に行くから。先週の出張も同じ人と一緒だった」
「美女だったりするわけ?」
「…ナイスガイなんだ」
重苦しい沈黙が室内を満たした。
ようやく手が離されたので、太一は克哉の正面の席に移動した。
はあ、とため息をついてテーブルに突っ伏してしまった克哉の気持ちはなんとなくわかる。
いっそのこと美女であったほうが気が楽だ。
同性の恋人としては。
「そいつ、日本人?」
「こっちの人。すごく色々力になってくれてるんだって、御堂さんの」
「で、克哉さんは心配なんだ」
「心配っていうか。このあいだ御堂さんの仕事関係でホームパーティがあってさ。
それにはついてったんだ、オレも。そしたら気づいた」
「なにに」
「御堂さんがものすごくもててることに」
克哉は手元にあったボールペンを握り締めた。
めきっと、小さな音がする。
「で、アジアンビューティー」
「…そう」
太一は目の前の克哉をまじまじと眺めた。
再会したのは二ヶ月ほど前。
ネットで注目されるようになり、メジャーなレーベルと契約話が持ち上がった頃で、本当に偶然だった。
人込みのなかで克哉によく似た横顔を見つけ、「克哉さん!」と声をかけたのだ。
人違いだと思いながら。
だが振り返ったのは本当に克哉だった。
太一が実家を継ぐまでの猶予は、大学生であるあいだだけ。
だから最初から逃げ出すつもりだった。
ギターだけを持ってニューヨークにやって来て、大変だった時期もあるが、それは比較的短期間に終わった。
自分の勘と運を太一は信じていたが、契約にあたって克哉がマネージャ的な仕事を引き受けてくれ、 太一にとってかなり有利に話を運んでくれたことで、さらに確信を強めた。
ビジネススクールに通っていた克哉にとっては、実習気分だったようだが、 その後のマネージメントも引き受けてもらい、そのために会社も立ち上げてもらった。
住居のダイニングを事務所とするような小さな会社で、代表は克哉で社員は太一とバンドのメンバーのみだ。
克哉の恋人は元の仕事をしながら、時折助言を与えている。
「日本にいるときから、きれいな人なのはわかってたんだ。
でもほら、日本じゃまだそんなに男が男にって目立たないからさ…
どっちかというとお見合い話とか、そういうほうを気にしてたんだけど。
切れ長の目とか通った鼻筋とか、しなやかだけど細身のからだとか、あきらかに東洋の美って感じだよね?」
「そういう克哉さんも、国関係なくかなりエロ可愛いと思うけど」
「太一、真面目に聞いてよ!」
今度はボールペンを投げ出した克哉は、半泣きの面持ちで訴えた。
「御堂さんずっと忙しくって。オレ、もう二週間もほっとかれてるんだけど!」
なるほど、と太一は思った。
 なるほど。克哉さんは
「じゃあさ、克哉さん。週末俺と遊びに行こうよ」
「え…」
「暇なんでしょ? たまには俺の部屋に遊びに来てよ。
作りかけの曲とかもさ、克哉さんに聞いてもらいたいし」
「あ、うん、でも」
途端に克哉は曖昧になった。
たとえ仕事でも、恋人がほかの誰かと出かけることが嫌なのに、 自分はその留守に太一の部屋に遊びに行くのは、許されるのだろうかと考えているのだろう。
そして太一は
 許されないだろうなあ。
と思っていた。
部屋に来たらそのまま帰すつもりはないし、太一が本気で求めたら克哉は最後まで拒んだりしない。
この地で再会し、恋人を追いかけてきたことを知ったとき、 太一は克哉への自分の気持ちを自覚した。そしてそのときから、太一はこう思っていた。
克哉は快楽に弱い。
真面目で誠実で一途だが、からだで落ちる。
 寂しい思いをさせられる相手となんか、別れてしまえばいいのに。
 別れたら克哉さんは悲しむし落ち込むだろうけど、俺が慰めてずっと一緒にいてあげるよ。
「太一、あの」
克哉がおずおずと顔を上げた。
「今回はやめとく」
「そ?」
じゃあまた次の機会に。
克哉さんに捧げたい曲があったのになー。
そんな軽口を叩いていると、件の恋人が帰って来た。
「おかえりなさい! 早かったですね!」
克哉は弾んだ声で恋人を出迎える。
「週末も留守にするし今日くらいはと思ったんだが、君のほうはまだ仕事か?」
「いーえ。俺はもう帰りまっす」
克哉は気づいていないが、太一はしっかり警戒されている。
どちらも同じようなことでやきもきしているのだ、このふたりは。
「太一、あとでメール入れるから」
御堂の腕にしがみついたまま、克哉は片手をごめんというふうに目の前に上げた。
「明日でいいっすよ。それより」

欲求不満は早目に解消したほうがいいよ、克哉さん。

耳元で囁くと、克哉は真っ赤になった。
「…太一っ!」
 ほんと、別れりゃいいのに。
心のなかなどちらりとも見せず、太一は軽く手を振って家路に着いた。



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