親友END
「傘を貸してやるからついてこい」
御堂にそう言われたとき、本多はなにかの罠かと思った。
直前まで例の如く激しくやりあっていた。
いい加減喉が枯れたので終わらせただけで、お互い相手の考え方が気に食わないのはそのままだ。
疑いが顔に出ていたのか、御堂は本多の一番嫌いな人を見下した笑みを浮かべた。
「この雨のなかを歩きたいというなら、私は別にかまわないが」
嫌味ったらしい口調に、怒鳴り返してやりたいのを本多はこらえた。
ここはMGNの通用門。一歩踏み出せば外は土砂降りの雨。
三歩でびしょ濡れになり、電車に乗るのも迷惑な状態になるのは目に見えている。
予報では天気が崩れるのは夜半過ぎからだったが、あたらなかったことを恨んでもどうにもならない。
「…すんません、傘、貸してください」
「いいだろう」
本多も体育会系で生きていた男。ものを頼むときに頭を下げるくらいの常識はある。
あくまで尊大な御堂のマンションまで行くことになった。
「え、車?」
てっきり置き傘を借りるのだと思っていたが、本多は駐車場に連れて行かれた。
「乗りたくないなら乗らなくて結構だ」
「誰もそんなこと言ってねえだろ。あんたほんとに一言多いんだよ」
外車の助手席に乗り込んで、本多はそこが普段克哉の指定席であることに気づいた。
からだの大きい本多は、人の車に乗り込むとき必ずシートの位置を大きく直すが、この車は少し動かすだけですんだからだ。
そっか。そうだよな。付き合ってんだから、助手席くらい乗るよな。
妙な生々しさと共に、本多の胸がちくりと痛んだ。
克哉から住所は聞いていたから場所は知っていたし、御堂の住まいが高級マンションであることも知っていた。
だが実際になかに入ると、本多は思わずため息を漏らした。
なるほど、これだけのところに住めるほど稼いでいるなら、えらそうな態度の何割かは当然かもしれない。
稼ぎの多さが人間の価値ではないが、男にとって意味はある。
御堂がカードキーで玄関を開けると、奥からぱたぱたと足音が近づいてきた。
「おかえりなさい、御堂さん。雨、濡れませんでした?」
克哉だ。
白いフリルのエプロンを身に着けた克哉は、本多には目もくれず御堂の唇に唇を重ねた。
驚愕のあまり、本多はバランスを崩し、肩を思い切りドアにぶつける。
「ほ、本多…っ!」
信じられないものを見た目で克哉が本多を見たが、自分の目で見たものが信じられないのは本多のほうだ。
本多がここにいる理由を、御堂が説明する。
「…傘を貸してやろうと思ったんだが」
「えっ! 御堂さんが、本多に!?」
御堂にも本多にも失礼なくらい克哉は派手に驚いたが、仕事が終わってから本多と御堂が数時間口論していたことを知ると、
一瞬無表情になった。
御堂は棚から傘を取り出すと、本多に差し出した。
「ほら。さっさと帰れ」
本多もそうしたかったが、克哉が引き止める。
「雨もまだ勢い落ちてないし。それに電車がストップしてるみたいですよ」
「ええっ、まじかよ!」
「タクシーを拾えばいいだろう」
「無茶苦茶待ちますよ。昼過ぎに事故が起きたみたいですから、ここでちょっと時間潰してるうちに復旧すると思います」
言い回しに、"口論なんかしていなければ、電車が止まる前に帰れたのに"というニュアンスがある。
本多と御堂は同時に克哉から目を逸らせた。
結局ここまでつれてきたのは御堂なので、玄関先で帰れ、というのも憚られたのか、本多はリビングに通された。
「まさか御堂んちに来る日が来ようとは…」
「いいから、本多、そこ座って。コーヒー淹れるからさ」
「お、おう。けど、その前によ」
本多は入ってきたときから気になっていたことを指摘した。
「克哉。さっきから言おうと思ってたんだが、おまえ、その格好」
なぜかとても似合っているが、普通成人男性はフリルエプロンを身に着けない。
克哉は面白いほど狼狽した。
「ち、違うっ、これはっ、大隈専務に貰って、便利だからっ!」
あの部長にしてこの専務。MGNってどんな会社だよ、と本多は思わずにはいられない。
ふと目をやると、ソファの上には色違いのピンクのエプロンが乗っていた。
「いやこれはそのっ! ごめんっ! 片付いてなくてっ!」
本多がそれに触れたときの克哉の反応は、先程の比ではなかった。
言葉になっていない言い訳を口にしながら、本多の手からそれをひったくる。
「なにを大騒ぎしているんだ」
着替えた御堂がリビングに入ってきて、さり気なく克哉の手からエプロンを二枚とも取り上げて、別室に放り込んでまた戻ってきた。
「突っ立ってないで、座ったらどうだ」
「お、おう…」
本多にはなんとなくわかってしまった。あのエプロンの用途が。
コーヒーを飲み終わっても電車は復旧せず、克哉は夕食を食べていけと言う。
朝から煮込んだというシチューは、リビングにまでいい匂いを漂わせていて、そうでなくても克哉の手料理を本多が食べたくないわけがない。
御堂は渋い顔をしていたが克哉に甘えられると簡単に折れた。
正直、無理はない、と思う。
御堂に対する克哉は、目が潤んでいて、頬が上気していて、声が上擦っていて、要するに全体的にエロい。
昔からごくたまにものすごく可愛い顔を見せるときがあったが、こんなエロい克哉を本多は見たことがない。しかもどうやら本人は無自覚だ。
克哉は「遊びに来た」格好になった本多の存在が嬉しいようで、しきりに話しかけてきてくれるが、本多は落ち着かなかった。
恋人が出来ても部屋に入れてもらえるくらいには、変わらず克哉の友人なのだと思えるのは嬉しいが、
こんな特別な克哉を見ているのは微妙な気分だ。
御堂は本多に克哉との仲を見せつけてやりたいという気持ちと、無防備な克哉を見せたくないという
相反する気持ちがあって、どちらかというと今は後者が勝っているようだ。
隣に座っていて克哉が段々しなだれかかってくると姿勢を直させているし、過剰に触れてくると距離を取り直したりしている。
そんなふうに御堂が一見冷静さを示すので、克哉は余計に溺れているようだ。
そりゃ、可愛くてたまらないだろう。
本多は食事の支度まで手伝う御堂の姿を見て、そう思った。
本多のイメージでは、御堂は命令はするが自分では動かないタイプだ。
「そんなことないって」と克哉は何度も言っていたが、なるほど、確かにそんなことはないようだ。
「お客さんはゆっくり座ってて。用意出来たら呼ぶからさ」
克哉に言われてリビングに戻った本多は、キッチンから漏れ聞こえてくる克哉と御堂のやりとりに思わず苦笑した。
付き合ってるんだ、と聞いたときには、なんでまたよりにもよって御堂と、と思ったが、どうやらうまくやっているようだ。
思うことはたくさんあるが、克哉が幸せなら言うことはない。
出来れば自分と幸せになってくれたらよかったのだが、それはもう仕方のないことだ。
帰り際、本多は入ってきたときから気になっていた、リビングに飾ってある人形について克哉に訊ねた。
克哉は少しだけ口元を引きつらせて、貰い物だと答えた。
御堂は都合の悪いときはとことん目を合わさない。
人形は結婚式の男女を模ったものだ。
こういうのって、結婚祝いに貰うもんじゃねえのか?
そう思って、ようやく本多はここに来てからの気まずさの正体を悟った。
新婚さんは往々にして、「遊びに来て」と誘っておいて、実際遊びに行くと「早く帰ってふたりきりにさせて」な雰囲気をかもし出す。
一緒に暮らしている、と言われて同居かせいぜい同棲の認識でいたが、
克哉と御堂の雰囲気は恋人同士を通り越して新婚さんだ。
そういえば克哉はいつの頃からか左手に指輪をしている。
「俺もなんか贈るな」
と言うと、克哉は不思議そうな顔をした。
引越し祝いならいらない、などと的の外れたことを言うあたり、
自分たちがどこをどう見ても天下御免の新婚さんだとわかってないらしい。
だがなにが欲しいか本多が問うと、「じゃあ、鍋」とあっさり答えた。
どこまで新婚さんなんだっ! おまえはよっ!
と突っ込むのさえ最早馬鹿馬鹿しい。心のなかに留めた。
欲しい銘柄までしっかりあったらしい克哉は、ご丁寧に本多の手帳にメモまでした。
御堂のマンションを出た本多は、その足でデパートに向かった。
勿論結婚祝いを買うために。
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